photo taken by Tomo Yamanaka Harrisburg, PA '91

第十章 生まれてすみません

そのように突如俺の前に現れたキリスト教という「宗教」に対して、俺は高飛車に対抗した。しかしその試みとは裏腹に、俺の精神生活は益々秩序を失っていった。「何のために生きているのか。何のためにこんな苦しい人生を生きて行かねばならないのか。」単純だが、人生に於ける究極的な疑問である。ここから全ての宗教、哲学が生まれてきたと言っても過言ではないだろう。しかしその問いに対して俺は何の答えも見出せないでいた。これは虚しい。虚しすぎる。これに答えられなくてみんなどうやって生きているのだろう。俺の内から何の宗教も哲学も生まれてこないのだ。これも又虚しい。生まれそうな誘惑はある。しかし言葉の羅列などによる問題の覚醒は、俺が探しているものではなかった。妥協や代用品ではなく、本物がほしいのだ。確かな手応えのある答えが欲しいのだ。「何のために生きているのか?」「人生の目的とは何か?」 このような疑問は答えが得られるまで堂々巡りのように襲ってくる。そしてその都度、俺はそれに対する答えを持っていないという事実とそれに伴う「虚無」に食い潰されていった。やはり、進化論が言うように俺は偶発的に生まれてきたに過ぎないのではないか。偶然いるだけなのではないか。偶然で俺が存在しているなら話は早い。俺という人間は特にいる必要がないのである。必然でない以上、いる必要はないのだ。太宰治のように「生まれて、すみません」と言って死ねばいい。しかし人間の命に「偶然」などという値札が貼られて良いはずがあるか!という正義感が自分の内で一歩も譲らない。しかし俺の人生を必然のものとしてくれる「人生の目的」はやはり見出せないでいた。そんな生きることにも投げやりで、死に対しても臆病な俺はルーザーと呼ばれるにふさわしいと思った。第一ラウンドKO負けといったところだろう。死を選んでそれを実行できた太宰治は俺よりもずっと勇敢でまじめだと思う。

このように無機物と化しつつある俺とは対照的に母はキリスト者としての輝きを増していった。彼女は明らかに俺が命と引き換えても手に入れたいと思っている「答え」と「自由」を持っていた。彼女がそれらを聖書から得ていたことは明らかであるが、そこに書かれていることをかくも妥協ではなく、本心から信じられる彼女が不思議でならなかった。俺は母は幸福者だと思った。その頃。俺はほとんど学校に行かなくなっていた。毎日、呼吸する事さえ億劫に思え、心臓の鼓動さえやかましく感じられた。俺はただ無気力に横たわっていた。そんな俺の朽ちてゆく姿を、母は我が身が裂かれるような思いで見ていた。そして母は彼女の信じ仕える、聖書の神に敬虔に祈り続けた。

「神は愛なり」という聖書の言葉を母は本気で信じていたようである。母は俺なんかよりももっと多くの苦しみを抱えていたはずである。三人の問題児に、夫と姑による飽きる事を知らないいじめ。母こそ人生と神を呪ってよい人であった。しかし母は、あえて聖書の神に愛を告白し感謝の祈りをささげ続けた。クリスチャンとなったから事情が変わったわけでもない。むしろ、母の回心は、父や祖母の態度を更に卑劣にさせた。母は父から「ヤソ」と悪態を付かれ、教会に行くことを禁じられていた。殴られもした。今も母の唇には縫い傷が残っている。それでも母は、神を呪うどころか、「神は愛なり」という聖句を信じて疑っていなかった。そしてこの俺も神の全能の手によって癒され、「救われる」ことを日夜必死で祈っていた。母は父の目を掻い潜って教会の祈祷会などに集った。そして教会の人々と一緒になって俺のために祈ってくれた。


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