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ある日、我が家に、ある老齢のアメリカ人女性がやって来た。名前はメアリー・エレン・グデマンと言った。どうやら、教会の宣教師らしい。俺は身構えた。俺の評判は母から聞いているはずである。俺はとうに学校にも行かなくなっていたので何やら説教がましいことを垂れに来たのだろうと思った。俺ははなから会うつもりはなかったが、もう居間に上がり込んでいるというし、からかい程度に会ってみることにした。この白人が妙なことを言い出したら殴り飛ばしてやろうなどと考えていた。ところが挨拶もそこそこに彼女は俺におもしろいことを聞いた。「アメリカに行きませんか」と。かと思うとおもむろに、今度は日本の教育制度がいかに間違っているか熱く語りだした。外国人という第三者の目に写る日本の教育制度はどう考えてもクレイジーだと言うのだ。俺は肩透かしを食らったような気がした。俺に説教するどころか、今まで俺に説教してきた連中を攻撃し始めたのだ。この様な矛盾だらけの教育制度の中で何の疑問も抱かず敷かれたレールに迎合し続けることの出来る人間の方がむしろどうかしている、俺のように憤り、もがき苦しんでいる人間の方がよっぽど健康的なのだと言ってくれたのだ。ちょっと感激した。俺のことをそんな風に言ってくれた人間はそれまでに一人もいなかった。俺ははじめて「正常」な一人の尊厳ある人間として受け入れられた気がした。当時、敵か味方かというような貧しい人間観しか持っていなかった俺は彼女を敵ではないと解した。
「アメリカに行きませんか。」と問われた時、心の奥底の扉が開かれた感がした。とっさに色々な思いがそこから溢れ出てきた。始めに、オレゴン州の美しい大空と山々の情景が脳裏をよぎった。それはきっと「オレゴンから愛」というテレビ・ドラマのせいだろう。俺は小学校5年生の頃、毎週金曜日、塾から帰ると真っ先にこの番組を見ていた。このドラマを見ながら俺はアメリカという国の遠さを感じた。地理的な距離だけではなく、精神的な距離を大いに感じた。当時の自分の生活と、そのドラマの主人公である少年の生活には雲泥の違いがあったからだ。俺は週に3回も夜遅くまで塾に通い、週に一度は家庭教師と勉強していた。そしてデスクにはありとあらゆる教材が山積みにされていた。遊ぶ暇もなく、勉強しろ!とどやされない日は一日もなかった。俺は島国日本の哀れな小学生をやっていたのである。しかしドラマに映るオレゴンの情景はまさに絶景。無限に広がる大陸と、青く澄みきった大空に美しい山々。空気の香りさえ漂ってきそうだった。何という自由、何という開放感を感じさせる情景だろう。主人公の少年は不幸な生い立ちを持っているが、牧場で馬を乗りまわし、イチゴ狩りに明け暮れ、明るく逞しく育って行く。少年の養父母は少年と直接血が繋がっていないにも関わらず、又少年の傷ついた心への対処に戸惑いながらも彼を一心に愛するのだ。俺には遠い遠い国の話に聞こえたが、なぜか魅了されてならなかった。
次に薄く濁ったミシシッピー・リバーのせせらぎが赤茶けた情景と共に脳裏を潤した。中学の時、俺は「ハックルベリー・フィンの冒険」を読んだ。最近アメリカの多くの学校はこの本をもはや図書館に置かなくなってきたという。それはそこに登場するハックが度外れな悪童で、それを読む学生達に悪影響を及ぼすからだという。ハックは確かにとんでもない悪童だ。こんな悪童は世界中どこを探してもなかなかいないだろう。だが、こんなに自由で逞しく、野生の知恵に長けた悪童はいない。ハックは悪童のチャンピオンなのだ。ハックはこのストーリーの中である脱走中の黒人奴隷を命懸けで助ける。そんなことは当時のサウスではタブー中のタブーだった。並大抵の反骨心の持ち主でなければ出来ないことだ。ハックは確かに悪童だが"True
Blue"と形容されるピュアーな良心を持っていた。ハックはその良心の判断するところに何の疑いもなく従った。そんなハックだが彼にも不幸な生い立ちがあった。しかしそんな過去に縛られることなく、まこと痛快に自由に生きて行く。彼は学校もろくに行かず、腹が減れば人の畑から西瓜をかっぱらって来、タバコを愛し、喧嘩にあけくれた。そしてしばしばミシシッピー河にぼろ筏を泳がせ、時を忘れて眠りこけるのだ。そんな自由人ハック・フィンは俺のヒーローだった。
「アメリカに行きませんか。」との問いは次々と俺が愛した映画の情景、小説のあらすじなどを呼び覚ました。俺は「行きたい!」と思った。そして「自由になりたい」と思った。尻の青い16歳の頭にはアメリカ、イコール、自由という単純な構図がしっかり出来上がっていたのだ。しかしアメリカが遠い国であるというイメージは揺るがなかった。又恐れもあった。言葉の通じる母国でこのザマである。言葉の通じない異文化の地で上手くやっていける保証など全くなかった。でも行きたかった。行きたくて行きたくてたまらなくなってしまった。少しでもそこに俺の求める自由があるなら、そしてそれに触れることが出来るなら、俺はそのまま死んでもいいと思った。どうせここにいても俺は朽ちて行くしかない生ゴミなのだから。自分の選択で道を決め、その結果の責任を負い、人間としての尊厳の中で生きたい、そして死にたい。アメリカに来てから、こんなかっこいい言葉を聞いた。"Give
me Liberty! or Give me Death!"
アメリカの独立戦争に際してパトリック・スミスという男が吐いた言葉らしい。「行きたいです!」と俺は宣教師に言った。この俺の無心の叫びは「生きたいです!」という叫びでもあったのだ。グデマン宣教師は俺の反応を確かめるとペンシルバニア州にいる彼女の友人が、留学生の世話をしているからそこへ行けと言った。俺は身を乗り出して彼女の話を聞いた。オレゴンの大空、ミシシッピー・リバーが目に浮かぶようだった。母は宣教師と俺のやりとりを一部始終聞いていた。涙ぐみながら、これが俺の為の神の計画だと信じ、宣教師に俺の留学準備を願い出た。しかし問題は父である。反米主義の極右翼である父が長男のアメリカ行きを承諾するわけがない。俺は泳いででも行く気でいたが、意外にも父は二つ返事で俺のアメリカ行きを承諾した。お互いこれ以上同じ屋根の下で暮らすことは危険であると父も分かっていたのだ。こんな調子で俺のアメリカ行きはトントン拍子で決まったのだが、出発までにはまだしばらくあった。その間、グデマン宣教師は私にマンツーマンで英会話レッスンを施してくれた。
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