photo taken by Tomo Yamanaka Harrisburg, PA '92

第四章 春

そんなある時、火が付いたように俺の内を一つの思想が支配し始めた。自由とは誰もが人間である以上、持つべきものであり、持たねばならないものであるということ、人間にとって自由とは権利ではなく、義務であるという事をふと気付いたのだ。余談だが、日本で真っ先にこの「自由」というコンセプトに気が付いたのは福沢諭吉であるらしい。彼は「西洋事情」を書くにあたってLibertyという言葉を「自由」と訳した。そして自由は万人にそなわった天性であると説明した。そしてRightを初め「通義」と訳したが、後ほど「権利」と訳し変えこの様に言った。「人間の自由はその権利である。人間は生まれながら独立して束縛を受けるような理由はなく、自由自在なるべきものである」(司馬遼太郎「峠・下巻」P105)。導火線に点った小さな炎はあっと言う間に俺の中に溜まりに溜まった憤りに着火した。俺は自分の中で何かが爆発したように感じた。十五才の春だった。革命とはこんな具合に始まるのだろうか。巨大な焼け石が行き場もなく、自分の胸中を焼けただらせていた。俺の怒りの矛先は当然のように父に向けられていた。「こいつさえいなければ!」俺は自由になれると思った。母も、姉も、弟も自由にしてやれると思った。

そんなある夜、いつものように泥酔した父がそこに居合わせた俺に絡んできた。そしていつものように俺は無様に殴られた。いつもならそのまま尻尾を巻いて半ベソをかいて逃げていたのだろう。しかしその夜の俺は以前の自分ではなかった。殴られた瞬間、何かに取りつかれたように、俺は見境を失い、手元にあったビール瓶を叩き割ると、うなり声をあげて父に斬りかかっていた。どれくらいの時間がたっただろう。我に返ったとき、家の中がめちゃめちゃになっていた。そして足元には泣きじゃくる母がいた。この事件があって以来、父は俺を恐れるようになったが、俺の中に芽生えた父に対する猛烈な憎悪は日に日に増し加わっていった。あの夜も、母が俺を止めていなければ、俺は父を殺していたに違いない。そして親殺し中学生少年Aとして新聞にもテレビにも出ていたのだろう。


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