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それからしばらくして、同じような衝突が起こった。しかしその時の父は酔いが浅く、我に返ったように隣家の祖母宅へ逃げた。俺は木刀を持って隣家に父を追った。すると父はベソを掻きながら、八十になる祖母の前に正座させられ往復平手打ちを幾度も喰らっているではないか。俺はこの世のものではないものを見たかの如く、前後不覚になってしまった。何年にも渡って俺に日本男児のあり方云々を説き、武士道の何たるかを豪語していたあの鬼熊のような父が、今俺の目前で子供のようにベソを掻きながら老婆の平手打ちを喰らっているのである。俺の中で何かが音を立てて崩れて行くようだった。前後不覚になった。あまりのショックで吐き気さえ覚えた。何故か父に大いに裏切られたような気がした。俺はこみ上げてくる怒りを押さえきれず、木刀で窓ガラスを叩き割った。そして父を殴り殺してやろうとした瞬間、俺は後から二人の警察官に取り押さえられた。神は失望のどん底を俺に見せたかったのだろうか。通報したのは母であったと聞いた時、俺の心は八つ裂きにされるような思いであった。もう絶対にだれも信じない、俺はそう固く固く決意した。たった一人でも良い、信じられる人の存在というのは以外と生きて行くためには充分な要素なのかも知れない。俺はそれさえ失ったと思った。母は俺が殺人者という取り返しのつかない犯罪者になることを防ぐために警察を呼んだのだ。しかしその時の俺にはそのように考える寛容さは無かった。ただ見捨てられたとだけ思った。
俺はその夜、皮肉にも父を殺そうとして買ったあのナイフで自分の手首を切った。と言ってもかすり傷を残した程度でもともと死ぬ気が無かったのかも知れない。臆病な俺は僅かににじみ出た血を見ただけで怖じ気づいてしまった。自殺は逃避である。逃げたはいいが、逃げ込んだ死後の世界がもっと逃げたくなるような所では話にならない。天国が仮にあったとしても、そこに行ける保証など俺には微塵もない。死んで無になれるのならば喜んで死ぬが、それも明らかではないのである。一か八かやってみようと言えるほどの度胸もない。要するに臆病なのだ。
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